やあどうも。kuni5です。
今回の記事は俺の実際にあった過去の出来事をそのまま俺なりに言葉にしました。
今、実際に会社を辞めようか悩んでいる若い人ってかなり多いと思います。
俺はそんな人達の背中を押してあげたいし、実際にどうなるのかっていう一連の流れを
見せて誰かの役に立てればいいなって思ってこの記事を投稿します。
ぜひ、最後までご覧ください。
漠然とした思いと適当な就職
やりたいことはそんな明確になっていなくて高校卒業して取り敢えず入社した金属加工の工場。
前から漠然としてあったのがゲームクリエイターになりたいとは思っていた。
ゲームクリエイターと言ってもかなり種類あるし結局ゲーム関係で何がしたいのかは具体化されていなかった。
でも、漠然としたゲームクリエイターになるという思いは少しだけあった。
その思いを持ったままそんな本気でやろうと思ってないからいいやって思って
初めて内定をもらった金属加工の工場に就職した。
職場環境としてはかなり良かった
辞めてよかった理由として、職場環境は全く問題なかった。
めちゃくちゃ優しいし気さくに話しかけてくれるし年齢が同じくらいの先輩も居た。
どれだけいい職場だったかって言うと、
具合が悪い。じゃなくて、身体がなんかだるいなーとか体調少し悪いかも・・・
っていう雰囲気出してるだけで事務のおばちゃんが
「大丈夫??今日はもう帰ったほうが良い!」
って言って周りに居た人たちも
「そうだよ帰ったほうが良いって!」
って言われてそれでも
「いや、大丈夫ですよ」
ってなんとなくあしらってそのまま仕事をその日は続けようと思ってた矢先、
とんでもないことをしてきたおばちゃんが俺に一言言った。
「kuni5くんのタイムカードもう退勤押しておいたから帰りな!!」
これは、もう驚きが大きくて果たしてこれは優しさなのかなんなのかその時はわからなかったけど
なんとなくだけど、悪意を持ってそんなことをする人たちじゃないってのは分かってたからこれは優しさだなって思って
「ありがとうございます。今日は帰ります。」
って言ってそのまま午前中で帰った。
実際少し体調は悪かったしあの時帰ってよかったかもって思ってる。
この職場はいい環境だって思える場面がまだある。
それは、社内でも数人しか扱えない機械を任されたことがあってその機械の職人のじいちゃんがめちゃくちゃ優しい。
どんだけ作業が遅くても文句言わないしどれだけ失敗しても全く怒らない。
その人が言った名言があって俺は忘れられないのだ。
それが
「失敗はどんどんしろ。失敗して勉強しなさい。」という言葉だ。
今まで俺は失敗は悪いものだと思い込んでいた。
だが、この人が言う言葉に対して俺はとても素晴らしい人格をお持ちなのだなと思った。
40も年下の小僧にそんなことを優しく教えてくれたのは今でもかなり感謝している。
そこからは、メインで仲良くなった人がその職人のじいちゃんであともう一人のおじさんが居た。
おじさんもかなりいい人でメチャクチャ丁寧に教えてくれたし失敗しても
「大丈夫!はっはっは!!」って笑い飛ばすだけの人だった。
雰囲気的に関羽みたいな人だなって思った。
でも、俺はそんないい職場を辞めようと思ったきっかけがあった。
なんで働いているんだろう
ある日、突然世界が灰色になった。いや、そう見えただけなのだ。
でも、俺の目からするとどんな青空でもどんな高々しい山でも全てが灰色に見えた時期があった。
なぜそうなったのかと言うと、とある期間。
恐らく3ヶ月ほどの短い期間だけど毎日同じ作業をしていた時期があった。
でも、俺のメインの作業は本当はその作業で職人のじいちゃんのとこで作業するのは特別みたいな感じだった。
でも、毎日同じ作業をしていて俺は思った。
「俺は果たして人間なのか?ロボットみたいな生活してるな・・・」って
そんな期間を3ヶ月続けて4ヶ月目のとある日に俺は工場裏で1人で泣いた事がある。
たったこれだけの理由かもしれないけどあの時の俺にとっては何よりも辛いことだった。
躍進の涙
こんな生活になんの意味があるのかわからなくなった。
なんで生きているのかさえわからなくなった。
俺はそんな生活に耐えられなくて工場裏で1人で泣いた事がある。
昼休みで工場裏で1人で泣いて、作業用の帽子を深く被って
目が赤いのがバレないようにしながら作業していた
あの時期がとても懐かしいしとても勇気ある行動だったと思う。
工場裏で1人で泣いてた時、俺はお父さんとメッセージのやり取りをしていた。
俺はこういう状況でなんのために生きているのかわからなくてどうすればいいのかな。
今泣いちゃっているんだ。
って送ったことがある。そして、返ってきたメッセージがこうだ。
「やりたいことをしなさい。」
本当はもっと優しい言葉が並んでいたけれど、今はもう覚えていない。
けど、この言葉だけは覚えていた。
そして、その言葉が俺を突き動かす。
ゲームクリエイター専門学校に通う手続きを開始!
俺は思い出した。俺のやりたいことはゲームクリエイターになること!
それを思い出してからは灰色の世界は元通りのカラフルな美しい世界に蘇った。
生きる意味を見出したのだ。
それからは、計画を立てた。
まず、100万あった貯金をそのまま手を付けずに半年後に退職して入学する専門学校に全て使うためにひたすら貯金した。
次に、専門学校に実際に授業の見学をしに行ってとても感動した。
こんなやりたい世界が広がっているところがあるのだ!と。
工場とは真逆のきれいな教室と専用のゲーム開発機が常備されていた。
俺はそれを見て速攻で願書を書いて提出してそこから2ヶ月後に面談を行って無事合格。
そのまま入学することを決定し。そこから半年後に退職する決意をした。
そして、俺は人生で最大の分かれ道の言葉を上司に口にする。
俺、会社辞めます。
その言葉を発した時上司は目がまんまるだった。
何がなんだかわからないような目をしていた。
実際に言ったタイミングは、朝礼でみんなが集まる時間があるのでその時間が終わってすぐに言いに行った。
でも、この日は本当は言うって決めてなかった。
来週辺りにでも言えれば良いかなって思ってたから。
でも、気がついたら
身体が前に出て
いつの間にか上司の前に居て
いつの間にか退職する旨を伝えていた。
実際に伝えた直後に
「あれ?俺なんて言った?」
ってなってしまうほど自分でも認識できていなかった。
恐らく、精神的にそれほど限界が来ていたのかはたまた専門学校に入学するが決まって嬉しかったのかそれは今の俺にもわからない。
けれど、言ってしまったものはしょうがない。そのままいろんな人に問い詰められた。
辞めるな!とか否定的な意見ではなくて、どうして辞めるのかという理由が気になっていたらしい。
そこで俺は言った。
「ゲームクリエイターになりたいんです。」
その言葉を聞いてみんな納得したような様子だった。
若いから何でも挑戦するべき!という明るい言葉が聞こえてきたのはとても嬉しかった。
ただ、職人のじいちゃんだけはなんとなく寂しそうな感じだった。俺は今でも忘れられない。
あの職人のじいちゃんの目がなぜか潤んでいたことを。ありがとうございました、職人のじいちゃん。
名前が合っていたら怖いけど、ありがとうございました。
Tさん。
いざ、田舎から都会へ!
そして、退職する旨を伝えてから1ヶ月後に俺は会社を辞めた。
実際に俺がこの会社に居た期間はぴったり1年だった。
なので、時系列的には
半年で鬱っぽくなってから
後半の期間で専門学校に入学する手続きをして辞めた。
というのが簡単な時系列になる。
実際に通った専門学校は都会の専門学校だった。
今までの生活では出会えないような友人も嫌なやつも居たしすごく刺激的な専門学校生活だった。
詳しくはまた別の記事で詳細に明かす予定だからお楽しみに!
俺が得たものは小さくて大きい一歩だった
あの時、やりたいことを我慢して
このままでいいや。とかどうせできないしこのままがいいよ。
ってなる自分がそもそも居なかったのが大きい存在だったかなって思う。
そして、退職する決意をして実際に専門学校に入学する判断は
俺の人生でかなり大きい決断だし自分で踏み出した一歩でもある。
今までの生活はなんだかんだ流されるような生活をしていた。
あの人がいるから俺も行くとかそんな生活だった。
でも、専門学校を選択した理由は違った。
俺がやりたいことをやるために行く!
自分で決断して自分で行動した!その行動に大きい意味があったんだなって思う。
だからこそ、俺が得たものは
「小さくて大きい一歩」だった。
そして、それは今のブログにも続いているし現在進行系でまた挑戦する決断をしたところである。
最後に
今、何かしらに我慢している人がいるだろう。
今、美しい世界が灰色に見えている人がいるだろう。
俺は声を超絶大にして言いたい。
「やりたいことをしよう!!!!」
今いる仕事、環境、親、友人。関係ない!
全部自分が決めて自分で行動して自分で進むんだ!
だからこそ生きる意味も価値もある!!
小さくて大きい一歩を踏み出せ!!!
俺等の未来は明るい!!!かも。
それは、本当にあなた次第。
次回、30万で購入した軽自動車の維持費
凡人にはお似合いよ!!!!
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